奄美大島への移住支援サイト ねりやかなや

「ねりやかなや」とは奄美地方の方言で、
「海のかなたの楽園」の意味です。

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AZUMAX~気が付いたら島の営業マンになっていました

(2016/4更新)

シングル アラフォー 富山出身 喜界島在住 観光物産協会

富山の高校を卒業後、奈良に進学。卒業後は富山にUターンして就職。 旅好きな性格が災いし、退職後、2年かけてバイクで日本中を周る。ひとしき
り周った後は、鹿児島県霧島市に居を移し生活を始める。

しばらくして生活がひと段落したころ、霧島市での仕事を辞めて、今まで行った事が無かった奄美群島をツーリング。その結果、富山に帰ってサラリーマンをやるより、「何もない」と言われている喜界島で色々新しいことを作っていこう!

作った事・モノが将来自分の既得権益になるんじゃないかという下心も抱きつつ、2008年、喜界島に移住。

なぜ喜界島だったの?

島なのに「普通に生活していける」

みんな一様に「何もない島」というけれど、道路は舗装されているし、携帯もつながる。スーパーやホームセンターもあるし、ないものはネットで買えばいい。給料は低いだろうけど、「普通に生活していける」と感じたのが一番大きいです。

一番遠いところまで車だと約25分で行けるコンパクトさも好きです。鹿児島や富山で働いていた時は通勤で1時間近くかかっていましたから。

あとは郷土愛が強いところ。事あるごとに島の人々の郷土への想いに触れたおかげで、自分の故郷を見つめ直すようになったのは確かです。

仕事はあっさり見つかった?

いろんなところで働いたから、今の職がある

島に住み始めた時は畑の開墾、内装工事、左官など、知り合った人たちのお手伝いをしていました。ただ、いつもお手伝いがあるわけじゃなく、日々働ける場所を探していたとき、スーパーに求人の紙が貼ってあったので電話して面接を受けて勤務が決まりました。普通は誰かの紹介とか島出身の方を雇用するらしく、喜界島に何の縁もゆかりもない人が求人を見て応募するっていうのは後にも先にもないそうです。

スーパーで働き始めたころから、空いた時間を使って島の若い子たちと喜界島のポータルサイトを作ったりしていました。スーパーのお給料だけだと厳しいので、夜は居酒屋で働きました。

島に住んで5年目のときに、観光物産協会の職員に誘われたので、今の仕事につきました。よっぽどすごい人じゃない限り、実績や職歴は役に立ちません。島の人と一緒に汗を流して、働いて、島の経済に貢献する。その積み重ねがあって、はじめて周囲が自分のことを理解してくれるんじゃないかと思います。

観光物産協会の事務局長だけど、たった一人の職員。就任した当初は「金ない・人いない・知名度ない」のないないづくし。だから、イベントの誘致やお手伝い、特産品の営業など何でもやって「あったらいいな」をひとつひとつ形にしています。おかげさまで周囲の方の理解もいただき、給料も上がりました。公用車のカブで島の隅々まで駆け巡っています。平らな島で助かった。でも、島の外で営業してることも多いかなぁ。

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