RIE~東京サラリーウーマンから島のNPO法人代表へ
(2023/8 現在)
カップル 40代 香川県出身 沖永良部島単身赴任中 NPO代表
香川県生まれ、大学から東京へ。 卒業後、東京のまちづくりコンサルタント会社に就職、その後独立。 2017年沖永良部島和泊町転入、NPO代表就任。
奄美との最初の出会いは1996年、学生時代のことでした。加計呂麻島での体験はカルチャーショックの連続で、香川の田舎で都会に憧れて続けていた人生観は一変し、奄美ファンの一歩を踏み出しました。奄美でまちづくりの仕事も受けるようになり、公私ともに奄美に通い続けました。
ずっと奄美にかかわり続けたいとサラリーマンを辞め、コンサルタントとして独立。そのうち、奄美群島で空き家活用を考える仕事を依頼され、「これまで見向きもされなかった空き家を地元の人々と一緒によみがえらせて、奄美に住みたい人に住まいを提供しよう!」。空き家問題に取り組み始めました。次第に成果が見えてきましたが、コンサルタントの仕事には終わりがあります。
この取り組みを継続したい!そこで、仲間たちと一緒に空き家や空き地問題の解決をはかりながら、住みたい人、住んでほしい人が住まいを見つけやすい環境をつくる団体、特定非営利活動法人ねりやかなやレジデンス(現:NPO法人あまみ空き家ラボ)を設立しました。
現在、同法人代表理事。
奄美でどんな仕事をしていたの?
まちづくり、移住・定住支援の仕事をしていました
大学の専攻が地方のまちづくりで卒業論文のフィールドを探したのが、奄美を知ったきっかけです。当時は、まだインターネットが普及していなかったので、真っ先に手に取ったのが日本地図。広げた地図のなかに見つけたのが、瀬戸内町(せとうちちょう)でした。
香川県で生まれ育った私にとって、瀬戸内海は生活空間の一部というくらいに身近なものでしたから、“瀬戸内”という名前に敏感に反応しました。瀬戸内町の地図には、複雑な地形の加計呂麻島(かけろまじま)というエキゾチックなひびきの島が横たわっていました。時、奄美群島が鹿児島県であることやアメリカ軍統治下にあったことも知らないまま、すぐに加計呂麻島へと飛び立ちました。
ほとんど情報をもたないまま飛び込んだ加計呂麻島で、想像を超えるカルチャーショックに出会いました。日常に溶け込む歌や踊り。90歳を過ぎても、三線を弾き、太鼓を叩き、唄い、踊る。集落は入り江ごとに発達し、隣の集落とは言葉も唄も違う異文化。神様が会話に登場して、違和感なく日常に溶け込んでいる。少し集落を離れると、特攻艇の基地跡や弾薬庫跡、砲台跡などの戦跡が生々しく残ってタイムスリップする。
出会ったUIターン者の覚悟や情熱にも、強くひきこまれました。そして、UIターン者が島を動かし、確実に変化をもたらしている、という現場を目の当たりにして、UIターン者の存在を強く意識し始めるようになりました。
加計呂麻島をきっかけに生まれた縁から、気が付くと奄美に足しげく通っていました。離島地域のまちづくりに携わってきましたが、ずっと「奄美に貢献できることはできないか?」と思い続けていました。奄美との初めての出会いから十数年後の2011年、奄美群島の移住定住促進の事業に関わる機会を頂きました。とても嬉しく気も引き締まる思いでした。
どうして空き家は貸してもらえないの?
住宅が足りてないことを家主が知らないのです
移住定住事業を進めるうちに、「住みたいのに、住みたい場所に家が見つからない」という課題が徐々に顕著になってきました。島を見渡すと、あちこちに空き家や空き地だらけ。でも、Uターン者や島民でさえも住まいが見つからず、人材不足のため島外から人を呼び込もうとしても住まいを提供できないのです。
そこで、2013年から、地元の集落組織やNPOなどと協力して、空き家活用の取り組みに着手しました。まずは、みんなで空き家調査を行い、家主に交渉することから始めました。ジャングルのような家や壁のない家もたくさんありました。調査した過疎15集落のうち、住める状態の空き家だけで戸数の約10%にあたる132戸の空き家が見つかりました。
貸さない理由の多くは。「面倒くさいから」、「知らない人に貸すのは不安」。でも、そもそも「空き家を貸すことを考えたことがなかった」という人が4人に1人いることが分かりました。住宅需要があることを話すと、「地域のためになるなら、使って欲しい」という人も出てきました。空き家が活用される光が少し見えてきました。
でも、さらに空き家活用を進めるためには、より多くの家主に実情を知ってもらう必要がありました。島在住の60~80代が空き家の主な管理者。その子供たちは都会で生まれて育ち、島に親族が管理すべき空き家や空き地があることすら知らないかもしれません。
空き家活用ってどんなことをするの?
まずは活用の見本づくりから始めました
どうすれば、空き家活用の機運が作れるのか?という課題に、私たちは活用の見本を作ることにしました。プロジェクトは全部で3つ。場所は、喜界島、徳之島、沖永良部島。
喜界島では、島暮らし体験ができる住宅への活用に取り組みました。過疎が進む花良治(けらじ)集落でプロジェクトを立ち上げました。地元の人たちの悩みは「集落行事も出来ないくらい若い人たちが減った」こと。でも、島外から移住した人が全くいない集落で、「いきなり人が移り住んでくると、集落民も移住してきた人も戸惑うことだらけになるだろう。だったら、失敗の少ない移住をしてもらうために島の暮らしを体験できる住宅を作ろう」ということになりました。
集落に空き家部会を設け、集落が空き家を借り受け、集落で草を刈り、青年たちが手弁当で大工さんに指導してもらいながら補修。隣接する耕作放棄地も蘇らせ、畑にしました。長期滞在した学生がロゴマークやチラシ、看板製作などに携わり、集落と宿泊者みんなで作りあげました。花良治しまぐらしハウスは2014年11月のグランドオープン。今では稼働率8割近くあり、リピーターも多い島暮らし体験住宅となりました。
徳之島では、長期滞在が可能な住宅への活用に取り組みました。伊仙町(いせんちょう)とシルバー人材を運営するNPOが空き家問題に取り組んでいたのがきっかけでした。空き家を使って長期滞在できる施設を作ろう!ということで、10年間放置され、ジャングルのようになっていた検福(けんぷく)集落の空き家を借り受け、2014年にゲストハウスあむとぅとして蘇らせました。芝浦工業大学のまちづくりを専門にする研究室と伊仙町が連携し、地元青年団と一緒におもてなし体制を整え、集落の子供たちと庭づくりや倉庫の改修を行いました。
地元の人や出身者の人の口コミであむとぅの存在が広がり、今では出身者が帰省で利用し、移住したい人が長期に滞在しています。子供たちが、昔ジャングルのようだった家を改修してあむとぅとして泊まれるようなったと説明してくれますよ。
沖永良部島では、定住できる賃貸住宅への活用に取り組みました。和泊町(わどまりちょう)が集落による空き家活用を支援していたのがきっかけでした。町の中心部、和泊字(わどまりあざ)の青年団は「青年団の活動に活気がない。字の活動に参加して地元を盛り上げてくれる人を増やしたい。住みたい人に空き家を改修して賃貸住宅を提供しよう!」と和泊ヤドカリ隊を結成し活動を開始しました。
まずは、空き家探しからですが、島外在住の家主が「地域のためになら」と空き家を提供してくれました。猛暑の中でも生い茂る草木を隊員で伐採し、家の中に残置された大量の荷物を運び出し、修繕し、清掃まで済ませ、入居者も募集しました。和泊字内は住宅不足なので、あっという間にUターンファミリーの入居が決まりました。最初はやったことのないリスクや不安が一杯の隊員が多かったですが、賃貸住宅が成功したことで、次への取り組み意欲がみんなに広がりました。
なぜNPOを立ち上げたの?
成果の見え始めた空き家活用の取り組みをもっと広げたいのです
空き家活用の見本づくりの成果があらわれ始め、空き家活用の経験や知識も増え、一緒に活動する仲間とのつながりも出来ました。でも、取り組んでいたプロジェクトをどんなに継続・発展させたくても、仕事の終了と同時に手を引くのがコンサルティングの仕事です。
そこで、コンサルタントとしてではなく、「住みたい人がいるのに空き家や空き地が増える」とうい状態を変えていく推進者になろうと決めました。
2017年7月に、NPO法人ねりやかなやレジデンス(現:NPO法人あまみ空き家ラボ)を立ち上げました。
立ち上げ1年半で約50組の方が家探しの相談に来られました。その半数が、雨漏りしていようが、荷物満載だろうが、自分でなんとかする方たちでした。
それでも家を探し始め1年以内に住まいを見つける方は2割程度(当時)と、古い空き家でも争奪戦。
NPOの空き家リース活動をもっと多くの島の方や出身の方に知ってもらい、空き家を貸してもらえるように日々奔走。振り返ると5年が過ぎました。
2017年にたった1軒だったサブリース物件は、 2023年7月末現在80軒を超えました。エリアも奄美大島から徳之島、沖永良部島へと広がっています。
〈 現在の活動内容 〉
- 空き家無料相談
- 空き家見学会
- 住まいに特化した移住体験ツアー
- 空き家を活用したゲストハウス運用(なかほ/奄美大島龍郷町)
- 空き家を活用したシェアハウス運用(シェアハウスあまた/沖永良部島、シェアハウス赤木名/奄美大島笠利町)
- コンパクト規格住宅モデルハウス兼ゲストハウスの運用(matchguesthouse/奄美大島龍郷町)
- 大家さんの負担を限りなくゼロへ「空き家サブリース」
奄美での暮らしで大変さを感じることはありますか?
空き家管理の大変さを身に染みて感じています
ご縁があって、沖永良部島和泊町に本拠地を構え、同町に住民票を異動し、本格的な奄美暮らしが始まりました。 2020年9月には、新たに奄美大島の龍郷町に拠点を構えることとなり、東京、沖永良部、奄美大島の3拠点生活をしています。夫は東京にいるので、実質の単身赴任状態です(苦笑)。今の生活は、ひと月の2/3が沖永良部島をはじめとする奄美の島々での暮らしです。もっとも私は好きなことをやっているので、迷惑を被っているのは夫ですが。
「島暮らしで不便はないの?」と島の人々に尋ねられますが、車があれば不便はありません。
「スローライフでいいね~」と友達から言われますが、地元の方から飲み会や地域活動のお誘いを頻繁にいただくし、何しろ毎日が雑草や塩害など自然との闘いで、結構、忙しいです。
なかでも一番大変なのは、事務所の管理=草刈りです。空き家調査をしていた頃は、放置されジャングル状態になった空き家や空き地を見ては、何でこんなに放置するのだろうとため息を漏らしていましたが、自分の事務所を同じような状態にしていまっていると気づいて反省しきりです。
梅雨が始まる5月から10月頃までは、草がどんどん成長します。想像を絶する炎天下のため、たまにヤギに手伝ってもらうこともありますが、草は待ってくれないので山羊の手助けがなくとも一人で黙々と実行あるのみです。
僕らのビジネス
NPO法人あまみ空き家ラボ
奄美群島の空き家や空き地を活用して、住みたい人に提供するための課題を解決するNPOです。
沖永良部事務所 知名町余多586-2
徳之島事務所 伊仙町検福185
奄美大島事務所 龍郷町円726
http://npo-nr.org/