先輩移住者の声

先輩移住者の声 先輩移住者の声

夢を追い、ものづくりの盛んな島 奄美大島へ。

 奄美大島の素材で作品を作り販売するKOSHIRAERUを運営している寳園純一さんは、奄美市木工工芸センターで木工職人の修業をし、木工工芸の会社を経て2015年に独立開業した。もともと木工の職人ではなく、大阪では実家の電気屋を手伝っていた。幼い時から彫刻といった手仕事が好きで、大学時代に訪れた奄美大島に一目惚れ。「僕が目指したいのは、ずっと使い続けて100年後も残るものづくり。それを当たり前に作り出す人がたくさんいる!」交際中だった多久美さんを大阪に残し、単身、奄美大島へ渡った。

 夢を追い移住したものの、当初は住まいを借りるための島内保証人を頼める人が見つからず知人夫婦の家に居候することとなった。仕事は、奄美2世の友達が始めたTシャツショップのデザインプリントを手伝うことになり何とか生活を保つことができた。そこで働いている時に、たまたまショップに飾っていた自作の木工細工を見た人が、「奄美市木工工芸センターが緊急雇用対策で職人見習いを募集しているよ。」と教えてくれたのが、今のキャリアのきっかけになった。

①剪定で出た枝を丁寧に磨き上げ生まれたカトラリー。

就職、結婚を経て、独立の道へ

 木工工芸の道に入ることが決まった頃、多久美さんと結婚。最初は「島暮らし?」と言っていた多久美さんだが、純一さんに会いに島に来る度に島ファンになっていったそうだ。都会暮らしの女子の唯一の不満は「最新のファッションと無縁な島暮らし。」もともとアパレル関係の仕事をしていた多久美さんにとって、お洒落は欠かせないもの。でも、泥染など「島にしかないもの」に出会い、新たなファッションの道が見つかった。

 一方、純一さんは木工工芸の会社でお客様からオーダーされる商品をひたすら作る日々に追われていた。勤務する間、色々な木材に触れ、様々な製品を作ってきた。思いをカタチにし、お客様から感謝される喜びは、次第に自分の作品を作りたい、表現したいという欲求へと大きく変わっていった。

 次に選んだ道は開業だった。「自然豊かな地域で子育てしよう」、「自宅兼工房兼ショップにして自然素材の作品に相応しいライフスタイルを提案していこう。」妻の理解も嬉しかった。

 既にIターンして6年が経っていても、物件探しは困難を極め、最後に龍郷町で見つかった。10年間誰も使わなかった元飲食店の物件で、掃除だけで3か月を要した。「ものづくりを標榜するのだから、改修も基本は自分たちでやろう。」作品とDIYで作り上げたショップが生み出す空間は、島外のお客様に感動も与えている。奄美大島の豊かな自然が息づいているからだ。貴重な木であっても剪定は必要で、その枝はゴミになってしまう。純一さんは、その枝をスプーンとして再生させている。木工品は飾っておくだけでは、カビが生え、ヒビが入り、価値がなくなってしまう。だから、そのスプーンが日常で使われる。

②長い間誰も住んでいなかった空き家を自分たちで改修し、自宅の一部を店舗として活用している。
③近所で購入した熟す前の島バナナ。

面倒なことをいかに楽しむか

 純一さんは、「離島の不便を嘆くのではなく、楽しむことが大事。面倒だと思いがちなことをやることが楽しみに変わる。玄米を毎回、精米し、鍋で炊くご飯は格別だし、玄米麹に漬けた島豚を自分の皿に盛ると美味しさは倍増する。」と話す。

 不便、面倒を楽しみに変える活動は、集落行事や島の若手の育成にも発展させている。伝統行事だからと惰性だけで続けていれば、いずれ廃れる。行事のために島料理を作るのが面倒なら、普段から作れるようにすればいいとワークショップを開く。みんなが集うことの楽しみを実感してもらうために、集落の仲間とマルシェを開催している。「僕らが伝統や文化を楽しみながら続けることで、子どもたちに継承していければ。」と思いは熱い。

移住を考えている方へワンポイントアドバイス

「仕事は?家は?」が移住検討の最初のステップではないよ。遠回りに思えるかもしれないけど、島暮らしをトライする機会を持って、島暮らしが好きになれるかを冷静に考える時間を持つことが大事。島に友達をたくさん作ることを優先すると、島暮らしのいい面、悪い面も客観的に教えてくれるし、周りが助けてくれるよ。

Shop information

KOSHIRAERU
島の木材や流木を使い、100年後も使えるモノづくりを目指したアイテムは必見。贈答品や記念品などのオーダーメイドも可能。

0997-69-3766 水曜
大島郡龍郷町大勝1164
11:00-17:00